Joy Luck Club

日記帖・雑記帖・ぼやきノート・備忘録・・・




無料上映会  (4月21日の夜 沖縄滞在五日目) :: 2017/05/19(Fri)

幸運なことに、最終日の夜にホテルの近くにある「沖縄県立博物館・美術館」の2F小ホールでの無料上映会に参加できた。FACEBOOKで繋がっているライターの渡瀬夏彦さんからの情報を得て知っていたけれど、辺野古へ向かうバスの中でも案内のチラシが配られた。「This is a オスプレイ」「This is a 海兵隊」という小一時間の映画2本が無料で観られる。

監督はあの「圧殺の海」を撮った藤本幸久氏と影山あさ子氏のお二人。参議院議員会館で上映会があるというので人形浄瑠璃を鑑賞した後に歩いて行ったっけかなぁ~~。「圧殺の海」はナレーションを付けずにただ映像で辺野古の海でカヌー隊と海上保安庁のゴムボートによるかなり暴力的な警戒活動とのぶつかり合いが描かれていて、フムフムというような感想だったけれど、今回観た2本はナレーションもついて、インタビューの内容も充実していて、かなり観やすいし訴える力があるように思う。

とにかく、こう云う機会に巡り合えると云うことはラッキーとしか言いようがない。2年前も帰る日の午前中に、沖縄県立博物館・美術館 企画ギャラリーで開かれていた「二人が撮らえた沖縄 終わらない戦後」という写真展の最終日に立ち会えたのだった。

~2年前のJLCの記事より~
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展示されている写真は、もちろんチラシの写真とは比べ物にならないほど、何倍も何十倍もの迫力があります。
小学生の頭の上を飛ぶ戦闘ヘリの威圧感や恐怖を観る者に伝え、
今も壕の中に取り残されている人骨や遺品を収集している人たちの想いを力強く訴えてきます。
言葉で聴くだけではなく、こうやって沖縄出身の写真家の目で捉えた沖縄の歴史を感じることができたのは幸運でした。


今回も最終日の夜に、宿泊しているホテルから歩いてすぐの所にある沖縄県立博物館・美術館で、藤本幸久・影山あさ子監督の映画の無料上映会に出会えたのは本当に幸運だ。
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「This is a オスプレイ」は、オスプレイがいかに危険な構造なのかを、学者やジャーナリストへのインタビュー映像で分り易く解説している。こんな理不尽な物体をなぜ日本全土で訓練させるのか。何故、沖縄に集中配備するのか。疑問が次から次へと挙げられる。

「This is a 海兵隊」は、服務命令により海兵隊員として沖縄にきて、沖縄からアフガン戦争に派遣された、もっと古くはベトナム戦争に派遣された兵士たちへのインタビューで構成されている。インタビューに答えていた3、4人の兵士に共通していたのは、「軍隊は平和のことなど教えない。人を殺せ殺せ殺せ、と教育されるところなのだ」という発言だ。戦地で何を経験したかは未だに話せない。家族にも言えない。・・・・戦争なんてそんなものなのだ。命令を下す奴らは前線で肉体的にも精神的にも辛い過酷な経験をした兵士らの苦痛などには思いを馳せることもないのだろう。

それぞれが1時間ほどの映画だけれど、知るべき情報はしっかり詰まっている。
全国でたくさんの上映会が開かれますように。
那須野が原の「映画サークル 十人十色」でもゆくゆくは自主上映会を開きたい。提案してみよう。





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不屈館  (4月21日 沖縄滞在五日目) :: 2017/05/17(Wed)

2年前に行けなかった「瀬長亀次郎と民衆資料~不屈館」を訪れた。
月曜日に訪ねた伊江島の「ヌチドゥタカラの家」を作った阿波根 昌鴻さんと住む場所や生い立ちは違っていたけれど、年齢も近く、アメリカの植民地支配のもとで琉球人の権利や生活を守るために民衆と一緒になって闘ったという共通点がある。

「不屈館」は若狭海浜公園の前にある数階建てのビルの1階、小さな入口の施設だ。
中に入って受付を済ませると瀬長さんのお嬢さんがTBSで2016年8月に放送された報道の魂「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか?」のDVDをまず見せてくれた。いつだったか情報を得てインターネットでも観たことのある秀逸な番組だ。これを観れば瀬長亀次郎さんがどれほど民衆に慕われていたか、最後までどれほど信念を貫いて闘った人かがよくわかる。

DVDを鑑賞してから、保存してある亀次郎さんの日記や恩師から届いた手紙や蔵書などを手に取って、もちろん全てを読むことなどできないけれど、じっくり目を通していった。片隅には亀次郎さんの書斎が再現されており、愛用していた机や筆記道具などがそのまま置いてある。新聞記事や写真、絵なども壁に展示されていて、それほど広くない館内を見るのに結構な時間がかかった。阿波根さんのことを知った伊江島でもそうだったけれど、亀次郎さんを知ることの出来るここ「不屈館」でも感嘆し感動し、とても励まされた気がする。

18氏は亀次郎さん著「民族の悲劇」「民族の怒り」の2冊、25は不屈バッジと絵はがきと、そして亀次郎人形を記念のお土産に。

亀次郎人形は、資料館を訪ねた名古屋の方が趣味で作ったものを不屈館にプレゼントしてくれて館内に飾っていたら人気になり、お土産用に小さな亀次郎さんを作ってくれているのだとか。今あるのは2種類だけと云うことだったので、呑み助の1825にぴったりの泡盛「不屈」の瓶を抱える亀次郎さんを選んだ。2017_may06.jpg


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米軍への宣誓拒否   1952年

「 一九五二年四月一日、琉球大学校庭で琉球政府創立式典。全員が脱帽して直立不動の姿勢をとっている。私は最後尾に着席していたのでみんなの後ろ姿がよく見えた。失礼な言い方だが緊張している様子がコッケイに思えた。
 第一区の議員から順次名前が呼ばれ、それぞれ立って会釈をしていたが「瀬長亀次郎サン」と呼ばれても返事もせずそのまま座り続けた。県民にこそ服務するという基本的な立場からであったが、ハーグ陸戦条約「占領地の人民は、これを強制して、その敵国にたいして忠誠の誓いをなさしむることを得ず」という国際条約があった。
 私のこの宣誓拒否は、いわゆる個人英雄主義的に独断でやったのではない。県民の意思を踏みにじり、全面的軍事占領下においたアメリカ帝国主義への抗議と抵抗の意思表明を人民党常任委員会の決定にしたがってやっただけのことである。」
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瀬長亀次郎 一九五八年4月5日付日記より

2017_may08.jpg「 加藤周一の抵抗の文学を読む。ナチス占領下におけるフランスの文化人がどんなに闘ったか。抵抗とは圧制者に対する憎悪からではないイカリ[怒り]である。イカリは祖国に対する愛情から自然に噴出するものだと強調、正に然りである。沖縄の抵抗も圧制者アメリカやそのカイライ[傀儡]どもに対する憎悪から生れたのではない。県民、国民に対する愛情から自然に生まれる圧制への底なきイカリのバクハツ[爆発]である。」


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        米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか?

瀬長亀次郎_報道の魂SP 2016年8月21日 投稿者 gomizeromirai



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辺野古キャンプシュワブゲート前 そして 高江 (4月20日 沖縄滞在四日目)② :: 2017/05/16(Tue)

辺野古から高江へ向かう。
テントスタッフに地図を書いてもらって、まずはわんさか大浦パークに寄って、トイレを借りて通路に何気なく展示されている大浦湾の貝の標本を見て、それから大浦湾を臨む瀬嵩(せだけ)の浜に寄った。護岸工事の準備をしているのが遠くに見える。今日は工事するぞという「振り」だけ(と云うのは高江のテントで聞いたのだけれど。)の様で抗議のカヌー隊も出ていない。

そこから高江までの遠さよ~。所要時間は1時間ほどの筈なんだけれど、こんなに遠く感じるのは周囲の景色がのどかだからなのか。国道331号と県道7号を只々北へと走る。道が間違っていないかと二人で危ぶむほど遠く感じた。東村に入って「パイナップル生産日本一」という看板もちらほら見える。N1テントが近づいてきたんだ。

ヘリパッドを突貫工事で作り上げて無理やり(アメリカ軍にとって必要ではない)基地半分の返還式なるものを執り行った後、全国から集められた機動隊もいなくなり、抗議に集まった人たちの姿も消えたと聞いている。でも抗議テントはちゃんとあるのだ。2年前はテントとワゴン車があったゲートの前に、今はALSOCのガードマンたちが10人ほど暇そうに立っている。道路を挟んだ向かい側に抗議テントがあって、留守を守る若い女性が対応をしてくれた。彼女は辺野古のカヌー隊のメンバーで、今日は午前中辺野古でカヌー抗議をしていたけれど、鉄板を5枚程あっちからこっちへ運んだと思ったら、その鉄板をまた元の位置に戻すという「やっている振り」工事だったので、午後も同じだろうと今日のカヌー隊抗議は中止となったそうだ。20日に工事開始と見せておいて実はうるま市の選挙が終わるまでは振りをするだけなのだろうと抗議する市民は読んでいる。

高江で抗議する人の数は減ったけれど、それでも毎日県内外からテントを訪れて話をしていく人たちは絶えない。オスプレイパッドは杜撰な工事で赤土が流れだしたり、崩れそうになっていたりしているので、定期的に見まわってその様子を記録しているのだと云う。30分ほど話した後、林や畑の中を走ってN1裏テントも訪ねた。2年前にもここで対応してくれた男性がのんびりテントを守っている。「今ちょうど綺麗にカクチョウランが咲いてるよ」と言ってテントの裏に案内してくれた。立派な蘭が綺麗に咲いている。テントの前の草むらにも向こうの道端にも・・・。

珈琲をご馳走になって(2年前もご馳走になったっけ)、また来ますね、とテントを出た。辺野古でもそうだし高江でもそうだけれど、みんな明るくて和やかで優しくのんびりと温かい。居心地がいい。長い闘いをくじけずに続けて行くことの出来る力は何処から湧いて来るのだろう。

東村にあるコーヒーファームに寄ってコーヒー豆を2種類買って、2時間半ほどかけて那覇まで戻った。



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辺野古キャンプシュワブゲート前 そして 高江 (4月20日 沖縄滞在四日目)① :: 2017/05/14(Sun)

昨日に引き続き、辺野古へ向かう。
手登根(てとこん)さんの車に乗せてもらう予定だったが、細かい調整がつかず二人で出かけた。
着いたのが10時近くで第一回目の石材の運び入れが終わってしまっていた。
ゲート前でカメラを回している映画「標的の村」「標的の島」などの監督の三上智恵さんをスタッフに紹介していただいて、那須高原でも「標的の島 風(かじ)かたか」の上映を実現させたいとお話した。

今日は昨日に比べるとぐっと人数が減っている。100人に満たないとのこと。
最初の搬入の時は30人位しかいなかったという。
機動隊がアッという間に座り込んでいる人たちを排除してトラックを通すのだ。
トラックが通った後はまたリレートークや歌で和やかに座り込みを続ける。


今日は、大浦湾の生き物たちを観察し、このきれいな海を壊してはいけないと訴え続けている「ダイビングチームすなっくスナフキン」の西浦さん(西平さんかも知れない)のお話を聴いて大浦湾の多種多様な生き物たちの勉強ができた。とても貴重な講義だ。ラッキー!
《テイクのメモに残っているのは以下の通り》
今、埋め立てられようとしている辺野古の海の大浦湾には湾内サンゴ礁があり、2007年には北側の瀬で青サンゴ群が発見された。青サンゴ群集には新種だと認められている生き物もいる。(色々な生き物の話をしてくれた。)オオウラハネウミシダ、トカゲハゼ、ジンガサウニ、マジリモクの名前がメモに残っている。護岸工事が始まればその生き物たちは絶滅せざるを得ない。大浦湾はサンゴ礁やマングローブ、干潟、ジュゴンのえさ場となる海草藻場など海の生物にとって豊かな環境が整っているとのこと。
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昨日、那覇からのバスで一緒だった「沖縄のおばちゃん」の一人が、西浦さん(西平さんかも知れない)の話が終わるや否や出てきて、「この人はすごい人なのにとってもシャイで、小さな水族館もあるんです、そんなこと一言も言わないけれど。是非、「大浦湾の生き物たち」と云う本を買って大浦湾の生き物のことを知って下さい。」と補足していた。テントの受付を覗いたら置いてあったので迷わず購入。説明もわかりやすくて目を楽しませてくれる写真集だ。

メモしてあった名前を辿って写真集で確認した。
(ゲート前ではきっとこう言うことを詳しく説明していたんだな。全てが聞きとれていた訳ではなかった。)
オオウラハネウミシダ = ウニやヒトデに近い仲間でこの種は国内では大浦湾でのみ確認されている。
トカゲハゼ = ドロドロの干潟に住むハゼ。大浦湾は世界で一番北の生息地。
ジンガサウニ = 潮の満ち引きによって陸になったり海になったりする潮間帯という厳しい環境で生きている
マジリモク=大浦湾のマジリモク(海藻の一種)は冬から春にしか見られない。7mにも育つマジリモク林ではイソギンチャク、ゴカイ、有孔虫が育つが、5月ごろに受精卵を放出したマジリモクはだんだん枯れ始め夏には何もなくなってしまう。


本当に穏やかに和やかに抗議は進む。
お昼近くになって、誰かが話している途中で俄かに緊張した空気に変わった。
「機動隊が来ます!みんな詰めてしっかりスクラムを組んでください。」の声。
左隣の女性がしっかり組もうねと声をかけてきた。うん、とテイク。右隣には18氏がいる。
右の方から順に「ごぼう抜き」が始まった。
怪我をしないように!歩いてもいいです!と道路の反対側で平和委員会の人が指示を出す。
歩くと二人の機動隊員が腕を取って何処かへ運んでいく。
歩かないと四人が乱暴に持ち上げて何処かへ・・・。
18氏の所までがごぼう抜きされて、テイクから左側のスクラム隊は残された。
今度はゲートの一番近くで後ろに倒れるようにして座っている人たちのごぼう抜きが始まった。
乱暴は止めろ!痛い!大きな声が響いている。
ああ、これがそうなのか・・・・・。
ず~~っと道路の向かい側で平和委員会の人がハンドマイクで、「機動隊の諸君、君たちの仕事はこんなことではない。辺野古の海を壊したくない想いで抗議をしている人々に手を出すのは止めなさい。」などと、落ち着いて静かに説いている声が、座り込んでいたテイクには何よりも心強く感じられた。

全員排除されてしまうと、ゲート前を塞いでいた機動隊車がテイクたちの前のギリギリの所に移動してきて、その間に機動隊員たちが並んで立つ。こっちも立ちあがり目と目を合わせた。みんな若い!本当に若い。沖縄県警の機動隊員たち。
ゲートからは地元の土建会社のトラックが次から次へと出てくる。朝、石を運び込んだトラックだ。みんな大きな声で抗議をしている。でも、テイクは悔しくて涙しか出ない。成す術もなく発する言葉もなく若者に向かって「いくつなの?」「ここで何やっているんだろうね、私たち」と呟くような声が出た。もちろん応えはない。みんな横を向いたり下を向いたりする。また目が合う。すぐ前のあの青年の目が潤んでいた。確かに。地元の青年だもの、大人たちが毎日ここでどんな想いで抗議をしているかを解っている隊員も居るに違いない。そう信じたい。
昨日のチョイさんの話だと何千ものトラックがこのゲートを入って行く筈だ。少なくとも毎日200人が集まればかなり遅らせることができ、その間に様々な手を打って新基地建設を諦めさせたい・・・何とか。



お昼ご飯は出がけにコンビニで買ってきたお弁当。午後は高江に行くので乗り合いの車に少し離れた駐車場まで送ってもらう。運転手はなんと数年前まで那須野が原にあるアジア学院の学生だったというNさん。アースデイのことや何やら話せてうれしかった。


~明日に続く~


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辺野古 キャンプシュワブゲート前 (4月19日 沖縄滞在三日目) :: 2017/05/13(Sat)

毎週水曜日の朝6時に沖縄県庁前から沖縄平和連絡会のチャーターバスが出ていることを「やんばる東村 高江の現状」というサイトで知って、前もって乗車の予約をしておいた。レンタカーがあるので自分たちでも行けるけれど、情報交換ができるかと思ってこの日はバスに乗せてもらったのだ。
参加費は一人1000円。朝6時、沖縄県庁前を出発!
30名ほど乗れそうなマイクロバスに1825を含めて24名が乗って出かけた。
那覇市やその近郊に住んでいる人がほとんどで、県外から来た人が6~7名と云ったところだ。

まず今日の責任者の長嶺さんから注意事項が伝えられる。
・水曜日は県内のあちこちから島ぐるみバスで参加者がたくさん集まるので機動隊は出てこないだろう。
・とにかく逮捕されることのないように、挑発には絶対にのらないこと。
・沖縄県警が出ない代わりにMPが出て来ることが多くなっているので、充分に注意をするように。
(MP(Military police)とはアメリカ軍憲兵のことらしい。怖い。)

「逮捕されないように」という言葉が出て来て、これが現実なんだと改めて思う。
一度逮捕されたという女性が、些細なことでもあちらは逮捕しようとするのでとにかく挑発に乗らない、もちろん挑発もしないこと!と念を押す。

辺野古まで1時間ちょっと。
注意事項伝達のあとは、先日、大阪で沖縄の現状を知らせる活動をしているグループに呼んでもらって、大阪に行って大いに訴えてきました~という自称「おばちゃん」3人組が、大阪でやって来たことを報告。大阪のおばちゃんと同じくらい沖縄のおばちゃんたちも楽しくて愉快だ。
そうなのだけれども現実は厳しい。どこかの駅前でビラまきをしたけれどほとんどが受け取ってくれなかった。沖縄のことに関心がないのだ。悔しい。そこで、いつもゲート前で歌っている自分たちで作った替え歌を歌ってみたらば、足を止める人が増え、ビラも受け取ってもらえた・・・・。やっぱり歌の力はすごいんです!

大阪のグループは毎日駅前でビラを配ったりスピーチをしたりしているそうだ。沖縄の現状を聞く会を開いてくれて、350人もの人たちが集まってくれた。私も私もと壇上で話す人が多くて、歌いたかった歌が1曲しか歌えなかったのが心残りなので、今日はここで全3曲歌いますと、座席に座ったまま振りをつけて(いたみたい)歌い始めた。歌も話も面白くってバスの中には笑い声と手拍子がわき上がった。この気取らない明るさが好きだ。

7時半ごろ辺野古のテントに着き、荷物をテントに置いてゲート前に向かった。すでに100人を超える人たちが座っている。歌ったりリレートークをしているとあちらこちらの地域から島ぐるみバスで乗り付けた人たちが続々とやって来た。今日は350人ほど集まっています!との報告。これだけの人が居るとあちら側も手を出せないので今日は機動隊の出動は無いでしょう。その通り、途中テントに戻って昼食を取ったり休憩して、午後からもまたゲート前に座り込んだが、機動隊は来なかった。警備会社・ALSOK(アルソック)の警備員たちがメインゲートで軍関係の車が出入りする時に交通整理をしているだけだ。

座り込みの350人の中から話したい、情報を伝えたいと次から次へと手が挙がってすごいなぁと思う。何処何処から来たとか、こんな活動をしているとか、色んな人が来ていることがよくわかった。次から次へと語られる経験談や活動報告があり、ゲート前の座り込みに参加しているととても勉強になる。

13年前の今日、4月19日、300mの滑走路を造るためのボーリング調査が開始され、ゲート前の座り込みもこの日から始まった。その頃は、民事不介入と云う理由で機動隊も海上保安隊も手を出さなかった。調査のために組まれた櫓が4か所に設置されたが、そこに登って抗議を続けて1年半。あちらも手を出さずにパイプの交換に来ただけだ。
「ヘリポートを造る」が「代替基地にする」となり、小泉首相と当時の稲嶺県知事との間で交わされた条件「軍民共用」が反故にされ、新基地建設へと変わった。
無許可の工事、法律違反の行為、ごまかし、嘘、欺瞞・・・


この日は、チョイさんこと北上田毅船長も、護岸工事の現状について話した。

政府は「4月20日着工」と言っているが、まだボーリング調査も終わっていないから到底できる段階ではない。23日のうるま市長選の結果を見てから始めるつもりなのだろう。310mのK9護岸の工事には3m20tのテトラポット200個以上が必要で、手作業で造っている。5200台の10トントラックと3800台の資材トラックが基地内に入る筈だが、未だ200台しか通していない。
国は許可申請をせずに第2ゲートから大浦湾の海沿いに仮設道路(進入道路)を造ろうとしている。この工事は埋め立て願書に記載されていないものなので、設計概要変更申請が当然必要なのだが、道路造成工事ではないとごまかしている。


コンクリートミキサーを1時間半停めるとコンクリートが使えなくなるのだそうだ。少なくとも毎日200人集まれば作業を遅らせることができるし、工事を中断させることも可能かもしれない。こう言った細かいことは全く知らなかった。座り込んで情報も得ることができて・・・身になる抗議行動だ。

一日の抗議行動の終わりに、3時の抗議行進をして朝のバスで那覇に帰った。那覇市に入ってしばらくすると、山城博治さんが釈放された後も拘留され続けている添田充啓さんを励ます集会に参加するために、拘置所付近でほとんどの人がバスを降りた。車を県庁付近に置いてきたので、残念だけど1825は諦めて帰るしかないな。

「チョイさんの沖縄日記」では辺野古の海での抗議活動が日々報告されている。
テイクたちが行った4月19日に近い「4月17日月曜日の辺野古」
「5月1日月曜日の辺野古」 
「5月12日金曜日の辺野古」
こうして写真と一緒に報告を読むと胸が詰まる。





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チョッと中断 :: 2017/05/09(Tue)

新しいことに首を突っ込み仕事が一つ増えたので、日々更新できないかも知れない滞在記。
滞在三日目は書き進めているので、明日にでも公開・・・か?
首を突っ込んだものの詳細は後日お知らせできると思う。

国会中継を時々観たけれど、アベやサガワの相変わらずの態度に嫌気が差す。
あんなのを観るのは絶対体によくない。
けれどたまにはチェックしなくちゃいけないと思うし。




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ひめゆり平和祈念資料館 (4月18日 沖縄滞在二日目) :: 2017/05/07(Sun)

2年前はひめゆりの塔の周りを歩いて、献花をして、
ひめゆり部隊が看護活動をしていた伊原第三外科壕を柵の外から眺めただけだった。
馬鹿だ。どうして「ひめゆり平和祈念資料館」に入らなかったのか。
理由はあったのだけれど、それは本当に都合のいい言い訳にしかならない。
今回は18氏の提案もあり、「ひめゆり平和祈念資料館」に行って上っ面の知識しかなかったひめゆり部隊のことをちゃんと知ろうと、展示されている写真や遺品、手紙をしっかり見て読んで、そして、生存者たちの証言ビデオを視聴してきた。

第一展示室の入り口には、乙女たち一人一人の写真に名前と年齢を記したパネルがある。
制服姿の乙女たちの笑顔を見ながら消息を読む。
青春時代に入るか入らないかのそれぞれの年齢の十代。
ちゃんとレポートしなければならないけれど、感情が先に立ってしまってどう書いていいのかわからない。

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第一展示室で展示されている写真。(「ひめゆり平和祈念資料館」HPより)

この6人は写真館でこうして記念写真を撮るほど仲良しだった。
緊張しながらも写真館に響いていただろう朗らかな笑い声やお喋りが聞こえてきそうだ。


ひめゆり学徒隊に動員された少女の一人が妹に残して行ったという、
中原淳一の絵の入った便箋やレースのハンカチの入った小さな木箱の宝もの入れがあった。
切ない。何処のどの時代にでも居る、夢見る乙女だったのよ、みんな。


証言映像が観られる第三展示室の、生存者の語る証言は涙なくしては聴けない。
若い観光客も足を止めて聴いている姿を見て少しホッとする。
証言をすべて聴くとかなり長い時間になるけれど、それでも離れられない。

「この戦争は正しくて絶対に勝つんだ、と当時は本当にそう信じていた。」
「だから、学徒隊員として動員されることになった時も、友達と一緒で楽しくてハイキングか何かに行くみたいな気分でウキウキしていた。あんな悲惨なことが待っているとは思ってもいなかった。」
「お国のために死ぬのは当たり前だとも思っていた。」

14、15、16歳の乙女たちがよく耐えられたと思うような外科壕での日々。
突如、解散命令が下り日本軍に放り出され、南へ南へと逃げ惑う。
自害するのも当たり前だと思っていた。
目の前で学友が爆弾に吹き飛ばされて死ぬ。
未だにあの逃げ惑った所には行けない。
生き残ったのが辛い・・・・・・・・・・ 
夢を見てうなされる・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・


第一展示室から特別展「ひめゆり学徒部隊の引率教師たち」が開設されている第六展示室まで、どの部屋もとても充実している。死んでしまった級友や先輩、後輩を悼み、体験したことを後世に伝えなければという重く深い気持ちが込められた資料館だ。ホームページもそれぞれのページがきちんと作られていて素晴らしい。出来ることなら実際に訪ねていただければ、と駄目テイクが言うのも何だけれど、心の底からそう思う。


二日後に行った高江のN1裏テントで「ひめゆり平和祈念資料館」に行ってきたことを話した。
「ひめゆり部隊がとても有名だけれど、学徒たちが動員されて死んだ壕があっちこっちにあるんだよ。沖縄中の中等学校の全てから男子生徒、女子生徒たちが動員されて、多くの命が失われたんだ。」 
と、テントを守っていた人がポツリ。そう、それを忘れてはいけない。




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伊江島 (4月17日 沖縄滞在一日目) :: 2017/05/06(Sat)

とにかく無知である。
2年前に初めて沖縄を訪ねたときには、伊江島がどのような存在であるかを知らなかった。「美ら海水族館」へ行った時に面白い形の山が真ん中にある島が見えて、標識で伊江島という名前を知った。辺野古の海のテントで、あそこにある米軍基地にもオスプレイを配備して辺野古‐高江-伊江島を結ぶ三角形で軍事訓練をする計画があると教えられ、「一度訪ねてみて下さい」と言われた。

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伊江島には本部(もとぶ)港から2時間に一便出ているフェリーで渡る。
那覇から本部への所用時間を考えて、11時発を選んだ。
帰りは4時伊江港発の最終便に乗ることにした。
滞在時間は4時間半しかない。
主目的は「わびあいの里」での「平和学習」に参加すること。
前日に予約の電話を入れたら、団体の予約があるのでその方たちと一緒にどうぞ、と云うことだった。

レンタカーを本部港に置いて伊江港で電気自動車のレンタカーを借りる。
この方がフェリーに車を乗せるよりいくらか安上がりなのだ。
案内所で情報を得たあと港近くの食堂で沖縄そばを食べ、12時15 分ごろには「わびあいの里」に到着した。
昼食に出かけている団体が戻るまで資料館「ヌチドゥタカラの家」を見学する。
(この入館料300円が平和学習受講料にもなる。)
「ヌチドゥタカラ」とは命こそ宝、命の尊さと云う意味で、
三上智恵さんの映画にも使われていた。


資料館「ヌチドゥタカラの家」の中は「がらくたの山」だ。
米軍の落下傘、手りゅう弾、薬莢、土地を奪われた島民の生活用品・・・
入り口近くには日本兵に銃剣で突き殺された赤ん坊の小さな衣がかけてあった。
血痕の付いた穴がいくつも開いている。泣き止ませる為に日本軍兵士が殺した。

生き残った島民は強制移住させられ、2年後に島に戻ったら土地が米軍に奪われていた。
ブルドーザーで畑が壊されていくのを目の前で見た。
自分の土地を返せと言えば殺される。
農民として生きてきた人々の生きる術は農業しかない。
自分の土地に入って殺された農民もいた。
農作物を育て始めても米軍がガソリンを撒いて燃やしてしまう。
男たちはみな逮捕され、残った女や子供、年寄りは飢えに苦しんだ。
島の他の地域の人たちが少しずつ食べ物を持ってきてくれたがそれでは足りず、
食べ物を分けてもらい伊江島の現実を知ってもらうために、乞食行進をしながら沖縄本島を歩いて回った。

「ガラクタの山」の中に当時を語る写真や記録や資料がたくさん展示されている。
その前からいつまでも動けない。

この「ガラクタの山」から人間の愚かさ、尊厳と英知、平和の尊さを学び取って欲しい。
伊江島の農民の先頭に立ち、米軍に非暴力で抗議する運動を続けた阿波根 昌鴻(あはごん しょうこう)さんの想いだ。

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1時半過ぎから平和学習会が始まった。
旅行会社が企画した平和と戦争を考える旅に全国各地から参加した人たち20人ほどと一緒に、
阿波根 昌鴻さんを支えてきた謝花悦子(じゃはなえつこ)さんのお話を聴く。
(20人の中に那須町のMさんがいてびっくり!
そして、2月に演劇「命どぅ宝」を公演した劇団文化座の団員もいた。)


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(2016年12月5日版 琉球新報より)

この写真をお借りした琉球新報の記事、
『辺野古・高江・伊江は一つ』平和資料館 謝花館長が講話  『71年たっても戦時中』
の内容と重なる部分は省いて、テイクのメモに残っている謝花さんのお話の要旨をご紹介しよう。

*****
沖縄戦での伊江島への攻撃は1945年3月末から始まった。
米軍艦が伊江島の周りをぐるりと取り囲み、
城山(ぐすくやま)の形が変わってしまうかと思われるほどの砲撃を受けた。
城山の麓に日本軍基地があった為だ。
4月16日に米軍上陸。
壊滅した日本軍の飛行場を米軍が使い、そこが原爆機の給油地となった。

強制移住から帰ってみると、島の大半が軍用地となっていて、その後も土地の接収は続いた。
74%の始まりだ。(現在、日本にある米軍基地の74%が沖縄に集中している。)
300人の武装兵を前にして島民は土地を返せと座り込みをした。
この伊江島の土地を守る闘いの「陳情規定」を阿波根さんが作り、
徹底的に非暴力を貫く闘いを繰り広げた。
「陳情規定」を作って闘ったのは世界初のことだ。
例えば、
米軍と話す時は座って話すこと、
耳より上に手を上げないこと、
決して短気を起こさないこと、
相手の悪口を言わないこと、
軍を恐れてはならない、
人間性においては生産者である我々農民が軍に優っている自覚を堅持し・・・
などと書かれている。

1972年に本土復帰して良かったことは、パスポートが要らなくなったことだけ。
本土復帰した後も沖縄は植民地のままだ。あの時に独立しておけば・・・・・と思う。
アメリカ軍がオスプレイや空中給油機F135を配備するために基地の拡張工事をしている。
先日あったばかりの村長選で、二人の候補者はそのことについて一言も触れなかった。
情けなくて怒りを感じる。


阿波根さんは出来る限り資本家の作るものを使わないような生活をしていた。
(一つの例として、中身を綺麗に使い切ってある歯磨き粉チューブを開いたものを取り出した。)
阿波根さんは、使わざるを得ないものでもこうやって使えば買わなくても良い、
生活の中での平和運動だと言いながら、
人が使い終わって捨てた歯磨き粉も貰い受けて綺麗に使い切った。
*****


謝花さんの話は次第に熱気を帯びてきた。
4時の最終フェリーに乗る為に3時半にはここを発たなければならない。
質問する時間がなくなり、
皆さんのご意見も伺いたいという謝花さんの希望も叶わず、
うしろ髪引かれる思いで「わびあいの里」をあとにする。
「団結道場」も見ていって下さいねと声をかけていただいたが、
簡易な地図では場所がわからず断念して港に向かった。


辺野古での座り込みも1000日をとうに越えたが、
非暴力の闘いの原点はここにあったのだ。
「陳情規定」に盛り込まれた阿波根さんの精神が今も生き続けている。



(カメラを持たない旅で写真の記録が無いため、この沖縄滞在記ではインターネット上の画像などを使わせていただく。)






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日本国憲法 :: 2017/05/04(Thu)

JLCを再開したものの風邪が長引き旅行の中身を書けないままで、ああじれったい。

憲法記念日にかの首相は、2020年までに憲法改正をやり遂げると改憲グループの集まりにメッセージを送ったそうな。
君は先頭に立って憲法を順守しなければならない立場にあると云うことを忘れてしまっているようだ。憲法は権力者(=政権担当者)ではなく主権者である国民を守る為にある。その憲法を権力者が権力の座にあるうちに都合のいいように変えると宣言したともとれる内輪へのメッセージのなんと空虚なことよ。君の計画のなんと愚かなことよ。
アメリカのご機嫌を取りながら戦争をしたくて仕方のない君になんか、この崇高な日本国憲法を変えさせてなるものか。


内田樹の研究室 2017年5月3日
「国家主権を持たない国(=日本)の権力者が国民主権を奪っている」という図式でこの現状を考える内田樹氏のインタビュー記事。冒頭で内田氏いわく「いつもの話ではあるけれど、これを愚直に繰り返す以外に悪政を食い止める方途を思いつかない。」

◎ 特別無料公開 「映画 日本国憲法」  監督:ジャン・ユンカーマン
  5月5日まで公開





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  1. 憲法
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沖縄から帰って・・・ :: 2017/04/24(Mon)

一昨日22日の夜、沖縄から家に帰り着いた。
6泊7日のそれなりに長い旅で、その分充実もしていた。
6夜とも同じホテルに泊まってそこからあちこちに出かけた事が疲れを減らしてくれたみたい。

1週間見ぬ間に庭の様子が春本番に変わっている。
昨日、今日と久しぶりの庭仕事を楽しんだ。
こうやって日常に戻っていくのがテイク流~~。

まずはJoy Luck Clubを再開して、旅行の中身は追々書いて行こう。





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  1. 雑記
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モネの庭 :: 2017/04/15(Sat)

図書館にリクエストしてあった「モネの庭」が届いたという知らせがあったので昨日受け取りに行った。もう一冊リクエストしてあった「思想としての朝鮮籍」も届いた。県内の他の図書館の本なので2週間で返却する。

「思想としての朝鮮籍」は旅に連れて行くとして、「モネの庭」は無理だ。
と言って1週間誰にも読まれず留守番させるのももったいないので、グリーンサムさんに1週間だけ預かって読んでくれないかなぁと打診したらば、えっ、嬉しい~との応え。

留守にするというのに植え替えなんぞしていいのかどうか、自分でも疑問を抱きつつ待っていられなくて、玄関の北側に所謂「シェードガーデン」なるものを造る為に昨日に引き続き作業をして完成させた。何とかかんとか(グリーンサムさんに聞かないとわからない)ファイアーワークスという地下茎でぐんぐん広がる花をわきに追いやって、トリカブトを動かし、ギボウシを向こうの花壇から移植して、岩何とかと銅葉のツワブキとツボサンゴを新しく植えた。昨日の遅い午後と今日の午前午後は目いっぱい庭仕事をした。「モネの庭」はやっぱり刺激的だ。家の中でジッとしていることが出来なくなるのだもの。

帰ってくる頃にはあちこちに植えてあるチューリップは開いているだろう。クレマチスも伸びて薔薇の葉もぐんぐん大きくなっているのだろう。春は日々進んでいるからね。庭造りの大先輩、グリーンサムさんがテイクの留守中は庭を見回ってくれるというので心強い。お願いしま~~す。




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  1. 土いじり
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準備をボチボチ始めよう :: 2017/04/12(Wed)

16日から沖縄に出かける。
一昨年の4月に初めて沖縄を訪ねて以来、二度目だ。

2014年に仲井間前知事が出した岩礁破砕許可の期限は3月末で切れているので、土砂投入など勝手にできる訳がないものを、県の抗議を無視してまでも辺野古で護岸工事を始めようとしている日本政府。こんな国は民主国家とは言えない、と思うようになってから久しい。
96年に日米で新基地建設を合意してから初めての辺野古の海への土砂投入となる。

岩礁破壊行為が確認されれば県は差し止め訴訟を起こす姿勢を取っているが、国は地元漁協が漁業権を放棄しているので許可の更新は不要だと言う。あらゆる選挙で新基地建設に反対との意思を示した県民を分断する工作が続いている。沖縄で何が起こっているか、ニュースでは真実が知らされない。

出発が近づいてきたので、今回計画している辺野古へのチャーターバスに乗せてもらうための予約と、2人~3人を高江や辺野古に運んでくれる車の予約のために連絡を取った。(滞在中はレンタカーを借りるけれど、現地の様子や空気を少しでも多く知りたいので、辺野古や高江へはバスや乗り合い車に乗せていただくことにした。)

当日、乗り合い車の運転を担当する手登根さん(てどこんてとこんさんとは読めなかった)が、「辺野古で抗議行動をしてから高江に行きませんか?」と言うので「前日に辺野古にバスで行くのですが。」と答えたら、「水曜日は機動隊が来ないけれど、木曜日は機動隊が出動するのでぜひキャンプシュワブのゲート前で座り込んでいただきたい」と。もちろん構いませんとも、抗議行動に加わる為に行くのだから。数日前に(片足が白線を越えたというような)何でもないことで、抗議行動をしている人が数人逮捕されたというから怖いのだけれど、市民をこうやって怖気づかせるのが権力側の手口だ。そんな卑怯なやり方で抗議する口を塞がれてしまいたくない。


一昨年行かなかった伊江島の反戦平和資料館ヌチドゥタカラの家不屈館も是非訪ねようと思っている。辺野古と高江への足の確保は完了したので、次はそっちの計画を立てよう。




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  1. 沖縄
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「不時着する流星たち」 :: 2017/04/11(Tue)



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小川洋子は何冊か読んだことがあって、「博士の愛した数式」と「猫を抱いて象と泳ぐ」が好きで印象に残っている。
この短編集は面白い試みで不思議な読み心地だ。短編集だと云うことも、どんな方式で書かれているかも知らぬまま、「不時着する流星たち」という題に惹かれただけで図書館に予約した。

第一話「誘拐の女王」は十何歳も歳の離れた母の再婚相手の娘が突然一緒に暮らすようになったことから始まる。裁縫箱を片時も離さない姉に、耳元で「ゆう・かい」と囁かれたときから妹の私は姉の語る不思議な話の虜になる。
何だかよくわからないけれど、とりあえず30ページ近くの物語を読み終えた。物語が終わった次のページに出て来たヘンリー・ダーガーと言う人のプロフィール。
 
 ヘンリー・ダーガー (1892~1973)
 アメリカ、イリノイ州シカゴ生まれ。子どもをさらう悪と戦う少女戦士たちの長大な絵物語『非現実の王国で』を人知れず創作し、誰にも認められないまま、一掃除夫として死去。病気のため救貧院に移る際、ゴミに埋もれた部屋の中から、アパートの大家によってその物語は救い出される。ブレンゲンは子供たちの幸せを心から願う、王国の怪獣。喉の奥の針から甘い液体を放出し、子どもたちをよみがえらせる。
 墓碑には『子供たちの守護者』と刻まれている。


な~るほど、実在の人物をモトにして小川洋子流の話に仕立てるのか・・・。(人物以外が二編あったが)ちょっと興味がそそられる。では、第二話は誰のことを?とプロフィールを読みたくなる気持ちを押さえて、「散歩同盟会長への手紙」を読んでみる。すっと話の中に入れる、読み易くてテイク好みの物語だ。元になっているのはローベルト・ヴァルザーという名の、へぇ~そうなのね~とこれも興味が湧く人物だった。もちろん小川洋子の物語はこの人物にどこかで重るように創られている

こんな具合に十話まで。十個の流星たちはこういう風に不時着したのねぇ。

十のうち三編が良かったかな。「測量」を第一位にしよう。二位は「散歩同盟会長への手紙」。「十三人きょうだい」の流れも悪くない。テイクのいい加減な評価は、下敷きになっている人物に大きく左右されている。表紙から裏表紙へ繋がる絵や一話一話の表紙ページのMARUUという人の装画も不思議な雰囲気だ。

4月8日読了




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春が来たから庭仕事が忙しい~ :: 2017/04/10(Mon)


■4月6日 シリアで化学兵器爆撃があった(ようだ)。 アサド政権の仕業だと米国が言い、反体制派の化学兵器工場を爆撃したとロシアが支援しているシリア政府が言う。 どちらが本当かなんてわからないけれど、市民が犠牲になっていることはわかる。


■トランプ米大統領は国連の安保理決議や米国議会の承認を経ずにシリアの基地をミサイル攻撃した。誰が何の目的で化学兵器を使ったのか、もしくは工場を爆撃したのか等々実際に何が起きたのかの国連による検証もされぬまま、トランプ大統領が勝手にやってしまった。そして、安倍首相は即座にアメリカの行為を「強く支持する」と表明してしまった。


■小さな子供が苦しむ姿を見ていられなかったらしい。米軍の(報復)爆撃によっても子供を含む罪のない市民たちが殺された。戦争と云うものはそう云うものだ。だから戦争なんてするな、という結論が導き出されるわけで、ノーム・チョムスキー流に言えば、(小さな子供が苦しむ姿を見ていられないという理由で爆撃をするのなら)「アメリカは何十回何百回も報復爆撃をされなければならない」のだ。


■4月7日、那須塩原にある映画館「フォーラム」に支配人を訪ね、「知事抹殺」を上映するためにどのような進め方がいいのか相談に乗っていただいた。実際に事前準備をしてくれたのは九条の会のIさんで、テイクを含め4人が参加。白河でこの映画を観た後に那須でもやりたいねと友人と話したことが動き始めた。那須町にスタジオを持っている監督からも依頼があったらしく、6月24日から1週間スクリーンを一つ開けてありますとのこと。すぐにでも準備を始めなければ・・・。


■フォーラムの支配人は映画好きの好青年といった感じで丁寧に対応して下さった。以前、「良質の映画を観る会」が企画した「ハンナ・アーレント」や「チョコレート・ドーナツ」や、実行委員会形式で上映した「標的の村」、「望郷の鐘」などのことが話題になり、採算が取れなければ厳しいけれど、子供向け映画で溢れる長期休みやゴールデンウィーク以外で、スクリーンの空いている時期には出来る限りのことをします、と仰った。現在、「良質の映画を観る会」の責任者が忙しくて休止中なので、今回のメンバーで「良質の映画を観る会」がやっていたことを引き継いでいけるといいと思う。「知事抹殺」が成功したら次は「母」「標的の島 風(かじ)かたか」を取り上げたいねと、もう先の事まで夢見て話しているけれど・・・。。



「ハンナ・アーレント」 http://www.cetera.co.jp/h_arendt/
「チョコレート・ドーナツ」 http://bitters.co.jp/choco/
「標的の村」 http://www.hyoteki.com/
「望郷の鐘」 http://www.gendaipro.com/bokyonokane/
「知事抹殺」 http://eisaku-movie.jp/
「母」 http://www.gendaipro.com/haha/index.php
「標的の島 風(かじ)かたか」 http://hyotekinoshima.com/


■・・・と何だかんだ考えつつ動きつつ 春が来たから庭仕事が楽しく忙しい!毎日毎日春を感じることが嬉しくって仕方がない。



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「献花台 悲し 恨めし 母心」 :: 2017/04/05(Wed)

毎日毎日茶臼岳を眺める度にあの日亡くなった若い命を想う。
この哀しくて割り切れなくてやるせない気持ちを何とかするために現場に行って献花をしてこようと思った。

何度か辿ったことのある道を登って行ってファミリースキー場入り口の看板の下の駐車場に車を停めた。駐車場から上るこの階段は新聞に掲載されていた、亡くなった生徒たちを救急隊員が運び降ろしていた階段だと思うと一段一段が辛い。同じように献花に訪れたご夫婦と一緒にその階段を上る。
ゲレンデに設置された献花台にはもう萎れかけている花束や真新しい花束がたくさんあった。献花台のすぐ上の方に茶臼岳の頂上があり、その左側に事故のあった「天狗の鼻」が見える。あの場所で雪に埋まって亡くなった若い人たち。花を手向けて現場を仰ぎ見れば涙しか出ない。気の毒で本当に悲しい。献花台には花と一緒に「献花台 悲し 恨めし 母心」と、気持ちをそのまま詠んだ短冊が置かれていた。

駐車場への途中、献花に向かうもう一組のご夫婦と目礼してすれ違った。






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