Joy Luck Club

日記帖・雑記帖・ぼやきノート・備忘録・・・




シンポジウム「沖縄から問う 報道と表現の自由」 :: 2016/11/25(Fri)


沖縄タイムスが主催したシンポジウムの動画です。
2時間44分余りと長いですが、時間を取って是非観ていただきたい。
(8分近くから始まります。)
基調講演:毎日新聞特別編集委員の岸井成格氏
パネリスト:米紙ワシントン・ポスト東京支局長のアンナ・ファイフィールド氏、
ジャーナリストの安田浩一氏、沖縄タイムスの石川達也編集局長



icon九条守れ

さいたま市の女性の句。
教育委員会は公民館報への掲載を拒否しています。


その他にも「9条」取り扱い拒否が様々な形で広がっています。

「九条俳句」市民応援団ができました。





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「原子力の憲法」こっそり変更  :: 2012/06/21(Thu)

6月21日付 東京新聞の記事


二十日に成立した原子力規制委員会設置法の付則で、「原子力の憲法」ともいわれる原子力基本法の基本方針が変更された。基本方針の変更は三十四年ぶり。法案は衆院を通過するまで国会のホームページに掲載されておらず、国民の目に触れない形で、ほとんど議論もなく重大な変更が行われていた。 

設置法案は、民主党と自民、公明両党の修正協議を経て今月十五日、衆院環境委員長名で提出された。

 基本法の変更は、末尾にある付則の一二条に盛り込まれた。原子力の研究や利用を「平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に」とした基本法二条に一項を追加。原子力利用の「安全確保」は「国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として」行うとした。

 追加された「安全保障に資する」の部分は閣議決定された政府の法案にはなかったが、修正協議で自民党が入れるように主張。民主党が受け入れた。各党関係者によると、異論はなかったという。

 修正協議前に衆院に提出された自公案にも同様の表現があり、先月末の本会議で公明の江田康幸議員は「原子炉等規制法には、輸送時の核物質の防護に関する規定がある。核燃料の技術は軍事転用が可能で、(国際原子力機関=IAEAの)保障措置(査察)に関する規定もある。これらはわが国の安全保障にかかわるものなので、究極の目的として(基本法に)明記した」と答弁。あくまでも核防護の観点から追加したと説明している。

 一方、自公案作成の中心となった塩崎恭久衆院議員は「核の技術を持っているという安全保障上の意味はある」と指摘。「日本を守るため、原子力の技術を安全保障からも理解しないといけない。(反対は)見たくないものを見ない人たちの議論だ」と話した。

 日本初のノーベル賞受賞者となった湯川秀樹らが創設した知識人の集まり「世界平和アピール七人委員会」は十九日、「実質的な軍事利用に道を開く可能性を否定できない」「国益を損ない、禍根を残す」とする緊急アピールを発表した。

<原子力基本法> 原子力の研究と開発、利用の基本方針を掲げた法律。中曽根康弘元首相らが中心となって法案を作成し、1955(昭和30)年12月、自民、社会両党の共同提案で成立した。科学者の国会といわれる日本学術会議が主張した「公開・民主・自主」の3原則が盛り込まれている。原子力船むつの放射線漏れ事故(74年)を受け、原子力安全委員会を創設した78年の改正で、基本方針に「安全の確保を旨として」の文言が追加された。

(東京新聞)



本当にこっそりと、私たちの目が大飯原発再稼働に向いている隙を突いて、原子力規制委員会設置法を修正してしまった自公民。私たちはしっかり目を見開いて彼らを監視し、絶対に彼らの思い通りにはさせない。

戦争放棄を宣言し、核兵器を「持たず作らず持ち込ませず」という非核を基軸にして戦後のこの国はやってきた(と思わされていた)が、アメリカ軍に核を持ち込むことを許し、原発でウランを燃やしその廃棄物からプルトニウムを取り出しそれを保有している。「核の技術を持っているという安全保障上の意味はある」だの「日本を守るため、原子力の技術を安全保障からも理解しないといけない。(反対は)見たくないものを見ない人たちの議論だ」と国会議員が臆面もなく堂々と発言し法案を修正してしまった。

もう、原発に替えて再生可能エネルギーを!とだけ言っている状況ではなくなりつつある。戦争への道をこれ以上進ませない。核廃絶!戦争は嫌だ!



bird


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「原発を拒否した町が教えること」 :: 2012/06/20(Wed)

2011年6月21日の毎日新聞「記者の目」。
原発誘致に揺れ、地域が二つに分断されたものの、「漁師はな、『板の一枚下地獄』と言うんや。そんな所で働くもんは皆仲良くせなあかん。町長、お前にこの気持ちが分かるか」という言葉で町長が誘致推進を取りやめたという和歌山県日高町の話です。




2012june10.jpg



~以下、記事を転載~


記者の目
原発を拒否した町が教えること=山下貴史(和歌山支局)


 かつての原発の建設候補地(右奥)を背に当時を振り返る濱一己さん=和歌山県日高町で2011年5月23日、山下撮影

 ◇だまされた国民の責任も問う
 福島第1原発の事故を、かつて原発誘致に翻弄(ほんろう)された人々はどんな思いで見ているだろうか。私が勤務する和歌山は近い将来、大地震が予想されている。かつて和歌山でも誘致の是非をめぐっていくつもの町が揺れたが、京都大学の研究者らの助けもあり、ここに原発はない。「危険な原発はいらない」。理由は素朴であり、明快だ。

 ◇誘致が浮上し、親類も賛否二分 
和歌山県で特筆すべきは日高町と旧日置川町(現白浜町)の誘致拒否だろう。日高町では67年、当時の町長が原発構想を表明して以来、この問題がくすぶった。関西電力は88年、設置に向けた調査に伴う漁業補償金など約7億円を地元漁協に提示。漁協内は兄弟、親戚で賛否が割れ、結婚式、葬式、漁船の進水式に出ないなど人間関係がずたずたになった。反対運動を率いた漁師、濱一己さん(61)は「原発が安全なら、こんなこと(仲間内の争い)はない。関電は都会と田舎のおれらの命をてんびんにかけた」と憤る。

 旧日置川町では、児童のスクールバスの座席までも原発賛否で分かれた。反対派の西尾智朗氏(59)=現白浜町議会議長=によると、建設予定地はもともと民有地だったが「国定公園にして乱開発から守る」と町土地開発公社が73年に買収、町に転売した。町が関電と売買契約を結ぶと、土地を売った一人の男性が「裏切られた」と自殺した。遺族(78)は「おやじは町にだまされたことを恥と思っていた」と悔しさをにじませる。

 反対派に一貫しているのは「電気を大量消費する都会になぜ原発を建てないか」という疑問だ。京都大学原子炉実験所(大阪府熊取町)の小出裕章助教(61)や今中哲二助教(60)ら研究者たちもこの疑問を共有し、反対運動を支えた。

 小出さんは原子力が未来のエネルギーになると信じ、東北大学に進学した。だが、宮城県・女川原発建設に反対する運動に直面し、反原発に転じる。「原発は都会で引き受けられない危険なもので、送電線を敷くコストをかけても過疎地に建てる。それに気付いたら選択肢は一つ。そんなものは許せない」と思った。

 今中さんも原子力の未来を信じて東工大大学院に進んだが、新潟県柏崎刈羽原発の反対運動に参加した。「絶対安全で地元も潤う」という電力会社の理屈にうさん臭さを感じた。79年には米スリーマイル島原発事故が起き、安全性への懐疑は確信に変わった。

 2人は愛媛県・伊方原発の設置許可取り消し訴訟の原告弁護団に証人として協力し、研究者の立場から反原発を支持した。和歌山にも何度もビラ配りに訪れた。小出さんの論は明快だ。機械は時々壊れ、人は時々誤りを犯す。人の動かす原発が壊れるのは当然。原発は壊れると破局をもたらす--福島の事故は小出さんにとって想定内だった。しかし、世論は安全神話に支配され、「私のような意見はすべて無視され続けた」という。今は原発を止められなかった自分を責めている。だが、小出さんは国民の「だまされた責任」もあると言う。

 この言葉に、敗戦直後の1946年に、だまされた国民にも戦争責任があると断じた映画監督、伊丹万作のエッセー「戦争責任者の問題」を思い出した。伊丹は人情味あふれる「無法松の一生」の脚本を書く一方で、人間の本質を突く社会評論を残している。

 「『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいない」(ちくま学芸文庫「伊丹万作エッセイ集」所収)
 「安全神話」を吹聴した国や電力会社が厳しく批判されるのは当然だが、だまされた国民の責任からも目を背けてはならないと思う。国民は政治を通じて、電源三法で多額の交付金を地方に配ってきた。その構造と安全神話が、原発周辺住民に危険と隣り合わせの生活を強いたからだ。

 ◇地方犠牲にした豊かさが幸せか
 濱さんは賛否で割れた漁協が、海で遭難した仲間の捜索で協力したことがあったと教えてくれた。遺体は1週間後に見つかった。「漁師はな、『板の一枚下地獄』と言うんや。そんな所で働くもんは皆仲良くせなあかん。町長、お前にこの気持ちが分かるか」。この言葉で町長は誘致推進を取りやめたという。

 原発の建設候補地だった場所は海に面した緑の岬だ。岬を見渡す海岸に立ち海を望んだ。地方を犠牲にして原発に依存し、豊かさにひたることが幸せなのか--。目指すべき社会の姿は、はっきりしていると思う。



下線部分は伊丹万作の「戦争責任者の問題」という長文に書かれている一節です。

去年訪れた松山市の「伊丹十三記念館」の半分近くは父・万作の作品などの展示となっていて、その中にこの「戦争責任者の問題」が壁一面に書かれていたのです。胸を掴まれ、お前はどうなんだと言われているように感じました。今まで原発の安全神話に騙されてきたと思っている私たちのことに思いが繋がりました。目を伏し何も言わず、或いは何も知らず何もせず時を過ごし、後なって「だまされた」と言う国民のままでいたら、万作が書いているように「何度でもだまされるだろう」、だまされ続けて行くのだろうと思います。

「だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、『だまされるということ自体がすでに一つの悪である』ことを主張したいのである。」



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