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日記帖・雑記帖・ぼやきノート・備忘録・・・




南相馬へ出かけて・・・④ :: 2014/04/06(Sun)

3日目の夜に色々語り合ったY沢さんやYさん、「いちばん星」の星さんは、
「相馬野馬追」の話になると一段と熱がこもり、一度は見に来て欲しいと仰います。

▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ 相馬野馬追(そうまのまおい) ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼

 相馬家の始祖・平将門が相馬御厨(みくりや)の官職にあった頃、新しい軍事力として馬の活用を考え、
下総国葛飾郡小金が原(現在の千葉県流山市付近)の牧に野生の馬を放牧し、関八州(北関東八ヵ国)
の兵を集め、野馬を敵兵に見立て野馬を追い、馬を捕える軍事訓練として、また、捉えた馬を神前に奉
じ妙見の祭礼として行ったのに始まったと言われる。
 元亨3年(1323年)、相馬氏は奥州、行方郡(現在の南相馬市)に移り住んでからも、代々の相馬領主
が明治維新までこの行事を連綿と続けた。相馬家は鎌倉時代より幕末までお国替えのなかった希少な
藩で現在でも総大将は相馬家の子孫が勤めている。

 相馬、双葉郡に至る旧相馬藩領(二市四町一村)を挙げて開催される国の重要無形民俗文化財に指
定されている一千有余年の歴史を誇る伝統文化行事。
 毎年7月下旬の3日間、500余騎の甲冑騎馬武者が出場し勇壮華麗豪華絢爛に繰り広げられる「相馬
野馬追」は「世界一の馬の祭典」とも言われている。 (「相馬野馬追」パンフレットより)

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「一度見てみなくっちゃ。宿はいちばん星で。」と思って星さんに伺うと、
その期間はもう予約でいっぱいだそうです。毎年訪れる観光客が一年先の宿拍の予約をしていくとか。
じゃあいつまで経っても泊れないじゃないですか。困った。

生まれ育った故郷の復興に関わりたいと東京の仕事を止めて南相馬へ戻ってきたY沢さんが、
南相馬市博物館が制作して「第11回全国地域映像コンクール」でグランプリを受賞したドッキュメントのDVDを
下さいました。

伝統の祭りの三日間を描いた「相馬野馬追」(2009年)、「東日本大震災復興 相馬三社野馬追」(2011年)
という二部構成のDVDです。

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~相馬野馬追~(パンフレットより)
一日目
・相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社から出陣。
・北郷本陣(鹿島区)で総大将を迎え、訓示後、雲雀ヶ原祭場(原町区)に向けて進軍。
・雲雀ヶ原で、白袴に陣羽織、野袴姿の騎馬武者達による馬具を着けての宵乗り競馬が行われる。

二日目
・「お行列」
太田神社の中ノ郷勢を先頭に小高神社の小高郷勢、標葉郷勢が続き、
殿は中村神社の北郷勢、宇多郷勢が本陣を目指す。
先祖伝来の甲冑に身を固めた500余騎の騎馬武者が繰り出す「お行列」は、「野馬追」をもう一度見たいと思わせる魅力がある。
・「甲冑競馬」
兜を脱ぎ白鉢巻を締めた若武者が先祖伝来の旗指し物をなびかせ、疾走する。
・「神旗争奪戦」
騎馬武者たちが打ち上げられた花火がさく裂し、舞い降りてくる二本のご神旗を奪い合う。

三日目
・野間懸
昔の名残を留めている唯一の神事。騎馬武者数十騎が何頭もの裸馬を追いこみ、白装束の御小人たちが荒駒を素手で捕え神前に奉納する。


DVDの第一部にはこれら三日間の祭の模様が収められています。確かにとても勇壮なお祭り。
Y沢さんもYさんも二日目の甲冑競馬は本当に見応えがあると仰っていました。
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甲冑競馬の様子(パンフレットより)



そして第二部。
3月に大きな地震による津波や東京電力福島第一原発の事故により、多くの市民が被災し避難している中、
2011年、例年通り7月に「野馬追」が催されたことにまず驚きます。
小高地区は原発から20キロ圏内に位置し警戒区域となり、小高神社からの出陣はできず、
規模を縮小して「相馬野馬追」が行われました。
第二部「東日本大震災復興 相馬三社野馬追」では、
震災で大きな被害を受け、原発事故による避難者の多い中で「野馬追」を行うことを決定するまでの様子や、
この年は参加を諦めざるを得ず落胆する小高地区の住民の姿、
子どもの頃から毎年騎馬武者となって祭りに参加していた青年が津波で命を落としたことなどが描かれています。


「前半の詳細な記録が後半の背景となり、災害の大きさと状況の深刻さを際立たせている。」と審査員が評したように、
本来の「相馬野馬追」の様子を紹介した第一部の後の大震災の年の「野馬追」には胸を打たれます。

このDVDを下さったY沢さんに深く感謝します。ありがとうございました。




♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡

佐賀県出身のYさんは、ご主人の転勤で相馬市に来て、この地がとても気に入って家を建てたそうです。
2011年3月11日は、転勤先の広島県に居ました。
相馬の家は少し高台にあるので津波の被害は免れたと言います。

温熱療法の資格を持っているのでそれを生かして、仮設住宅暮らしで疲れている人たちのお役にたちたいと、
社協スタッフと一緒に仮設住宅を訪ねる私たち3人に合流しました。
一通りやると1時間半はかかるそうですが、短い時間しかなかったので、
肩が凝っているという人には肩に、腰が痛いという人には腰に施術しました。
「患部を温めて血行を良くする」というのが基本中の基本のようです。
Yさんの温熱療法を受けて、
「とても楽になった」「ほら、腕がここまで上がるようになったよ」
と話す人たちの嬉しそうなこと。
自分の持っている技術を生かしてこんな風に喜んでもらえるって素晴らしい。

そのYさんに福島の郷土玩具「赤べこ」と「起き上がり小法師」をいただきました。


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とても可愛い。
ダイニングテーブルの横にあるカウンターに飾りました。
毎日、「おはよう」とか「元気?」とか言いながら赤べこも置き上がり小法師も突っついてます。
Yさん、ありがとうございました。またいつかお会いできたらいいなと思います。

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南相馬へ出かけて・・・③ :: 2014/04/05(Sat)

今回お世話になった宿舎は農家民宿「いちばん星」。
築150年の古い家を改築した民宿です。
ご主人の星さんは以前、市役所に勤めていたそうですが、
東日本大震災で避難所の責任者をされたのをきっかけに民宿経営を始めたそうです。
ボランティアにやって来る人たちの宿として使われるようになりました。


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3月26日から29日までは、Iさん、T君、テイクの3人だけが宿泊。
残念ながら他のボランティアグループとの交流は出来ませんでしたが、
震災後に東京での仕事を止めて故郷・南相馬に戻ったY沢さん、20年前に相馬市に住み始めたという九州出身のYさんが、
facebookでの友人であるIさんを「いちばん星」に訪ねて来られ、夕食を一緒に食べながら話に花を咲かせました。
民宿のご主人の星さんもY沢さんもYさんも、南相馬や相馬への想いを熱く語っていました。すごい。

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テイクにとっては初対面の人ばかり。
なのに何年も知り合いでいたかのように話ができる、不思議な出会いでした。



「いちばん星」の星さんが福島NHKで紹介されている映像。
はまなかあいづ 「「忘れない南相馬」



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南相馬へ出かけて・・・② :: 2014/04/05(Sat)

仮設住宅には、津波で家を流された人たちと、
家は無事だったけれど放射能汚染で家に戻れない小高地区の人たちが入居されています。
サロンに向かう車の中で社協のスタッフが毎回確認するかのように伝えてくれました。


一日目の日程を終えて4時ごろ社協を辞した後、
宿泊した農家民宿「いちばん星」のSさんが津波の被害を受けた海岸沿いと
放射能汚染された原発から20キロ圏内の「計画的避難区域」小高地区を案内してくれました。

今では津波による瓦礫は分別され仮置き場に運ぶ作業が進んでいるので、海に近い地域にはほとんど何もない状態です。
「この辺にも家が立ち並んでいました」と聞いても信じられないくらいの、
遮るものが何もない海までずっと見晴らせる広い土地が広がっていました。

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建物があったことを思い起こさせるコンクリートの基礎が残っている所もあります。

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石巻の「奇跡の一本松」が有名になりましたが
南相馬の海岸近くにも奇跡的に流されないで生き残った松の木がぽつんぽつんと残っていました。



小高地区に入って走ると、道に沿って人の住まない家々が見えます。
いずれ帰還できるように除染を進めていて、現在は昼間だけの帰宅は許されているそうです。
車が停まっている家。
「居住制限が解除されたら戻るつもりで、家の中の片づけや庭の手入れをしに帰ってきているのでしょう。」とSさん。
荒れたままになっている庭の家。
「もう帰るつもりはないのかも知れませんね。」


小高駅に向かう途中、「福幸食堂」にあった本来の「双葉食堂」の店の前を通りました。
県外からもお客さんが訪れるほど人気のあった店ですが、ひっそりとした町並みの中でシャッターの下りた店。
この店だけじゃなく、人の住んでいない家々、住みたくても住めない地域・・・。切ないです。

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2011年3月11日の震災から閉鎖されている小高駅。

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駅の前に伸びている道もひっそりしていました。
もちろん見える限りの家々には誰も居ません。


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震災前に設置されたばかりだったのではないかと思われるほど真新しい観光案内板が駅舎前にあります。
案内にある小高の年間行事のうち4つが7月に開かれる「相馬野馬追」に関するものでした。


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駅にある自転車置き場。

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あの日の朝、常磐線小高駅から学校や勤務地に向かったであろう通学生や通勤者の自転車・・・
その日の午後の地震と津波で電車の運行が止まりました。
そして東京電力福島第一原発事故の影響で運転は再開されていません。



★ ★ ★ ★ ★

震災から3年が経過し、地震や津波で倒壊したりながされて家や施設は片づけが終わりつつありました。
小さなボートやコンテナがひっくり返っていたりするのを2~3箇所で見かけたものの、
2012年3月に石巻の鮎浜という所へ地域の皆さんとの交流に行った時に目にしたような光景はもうありません。
農地を買い上げて宅地造成している所がたくさんあります。「土地を売って下さい」という看板もありました。
建設用の重機-ショベルカーやブルドーザーなどのリースの店が目につきました。
完成した復興住宅(災害公営住宅)への入居も始まりました。
ある程度の地域では少しずつ普通の生活に戻ったり、戻れる日が近づいているように見えます。

三泊四日の滞在だけでは何もわかりませんが、地域によって復興の速度が違うようだと感じました。
2006年、小高町、原町市、鹿島町が合併して南相馬市が出来たのですが、
東日本大震災と原発事故で地域ごとの被害が異なり、復興に差が現れ始めても仕方がないのかも知れません。

・津波の被害が大きかった鹿島地区の大部分
・放射能汚染で警戒区域に指定された小高地区全域と原町地区の一部
・2011年9月に「緊急避難準備地域指定」が解除され、通常生活に復帰した原町地区の大半と鹿島地区の一部

資材の高騰や人手不足など問題がたくさんあります。もちろん放射能汚染も。
オリンピックに浮かれている場合じゃないと強く思います。

★ ★ ★ ★ ★



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南相馬へ出かけて・・・ ① :: 2014/04/01(Tue)

facebookで交流のある福岡に住む女性Iさんの呼びかけに応え、南相馬市での"ボランティア"に参加しました。
仙台駅で福岡から来たIさんとT君と合流し、東北アクセス社のバスに乗り、2時間かけて南相馬市の原町に向かいました。
宿舎は原町地区と鹿島地区の境にある農家民宿「いちばん星」。
三泊四日の予定で中二日をボランティアに当てるという計画です。

今回はIさんの呼びかけに応え、何ができるかわからないまま出かけたテイクです。
Iさんは傾聴ボランティアをしたいと考えていたのですが、
ただ行くだけでは駄目だと云うことが現地に着いてからからわかりました。
「いちばん星」のご主人の紹介で社会福祉協議会(社協)を通して活動することに。

南相馬市社協のスタッフにお供して二日間で午前午後4か所の仮設住宅を訪れ、
社協のプログラムであるサロン活動に参加させていただきました。
ちょうど今年度最後のサロンが開かれる週でした。
毎週開かれていた社協主催のサロンが、来年度4月からは隔週になるのだそうです。

南相馬市には30を超える仮設住宅地があり、社協では住人が閉じこもったままにならないようにサロンを開き、
仮設住宅の各戸を定期的に訪れて健康チェックをしたり悩み事を聴くなどの生活支援もしています。

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仮設住宅のあちこちの板壁には
明るい色遣いの絵が描かれていました。


サロンは各仮設住宅地内にある集会所で開かれ、お茶を飲みながらお喋りをするのが主です。
必ずやることは血圧を測り健康状態をチェックすること。それぞれが健康ノートを持参して毎回スタッフが記録します。
そしてラジオ体操で体を動かします。
テイクたちがお供した4か所4人のスタッフのプログラムはそれぞれに異なっていましたが、
ぬり絵をしたりゲームをしたり、毎回色々なことを独自に考えて準備していることがうかがえました。

参加者は2人だけの所もあれば、6人の所もあり、女性ばかり20人の参加者がいた仮設住宅もありました。
どこのサロンでも男性の参加者が少ないのが現状です。
そして、女性にしても男性にしてもサロンに出かけてくる人はある程度様子がわかるので良いのですが、
余り外に出ないで人と交わらない人たちのことがとても心配だと社協のスタッフみなさんが仰っていました。
仮設住宅には一人で暮らすお年寄りも多く、閉じこもりがちになる人が多いので、
そういう方々をどう支えていくかが現在の社協の課題のようです。

 ★ 社協の皆さんの活動にはただただ頭が下がります。
   市内にある30を超える仮設住宅だけではなく、
   他の町の(郡山とか福島とか)仮設住宅で暮らす南相馬市民の訪問もしているとか。
   大変な仕事であろうに明るくきびきびと動くスタッフの皆さんを尊敬します。

 ★ ボランティアって何だろうと改めて考えました。
   ただ漠然と何かのお役にたてればと出かけたテイクは、行く先々で社協のスタッフが
   「ボランティアの皆さんが今日は一緒です」と紹介してくれる度に面映ゆく、
   申し訳なく思いました。
   ひょっとしたら社協のスタッフの計画を邪魔しているんではないだろうか、
   ひょっとしたらいつものサロンの雰囲気を壊してしまっているんではないだろうか・・・
   特に一日目は緊張して、戸惑いながら参加者の皆さんのお喋りの輪に入りました。

   二日目は温熱療法の施術が出来る、隣の相馬市に住むYさんがご一緒で、
   参加者の皆さんが短い時間ながら温熱療法を体験し、とても楽になったと嬉しそうに話
   すのを聞いて、テイクも嬉しくて、
   一日目ほど緊張をせずに自然にお喋りの輪に入ることができました。
  
   Yさんみたいに何らかの技術があって、それで喜んでもらえるのが理想的です。
   現地で何が必要とされていて、自分には何ができるのかをしっかり考え、
   充分に準備をしてから出かけなくてはいけないと身にしみて感じました。
   落ち込みがちな気持ちを励ましてくれたのは、
   「私たちのことを忘れないでいてくれたんだね」と言ってくれた男性の言葉でした。
   そして、サロンを終えて別れる時にも何人かの人に「忘れないでね」って言われました。
   忘れていなかったし、もちろんこれからも想い続けます。
   また来てねと言われて、ああ来てよかったんだとやっと思えました。
   "ボランティア"じゃなくても、忘れないこと、行ける時に行くこと、
   そんな事を続けて行くのがテイクのできることじゃないかなと今は思っています。
 






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南相馬市は原町市、鹿島町、小高町が合併してできた市です。
南相馬市社会福祉協議会は鹿島地区にありました。
社協の近くに復興商店街「かしま福幸商店街」があり、
二日間の昼食はその中にある「さくら はる食堂」で塩ラーメンと醤油ラーメンを食べました。
原発から20キロ圏内の小高地区にあった「双葉食堂」が隣にあるのですが、
震災前から南相馬市を代表するラーメン屋さんだったようで、
たくさんの人が待っていたので、時間のないテイクたちは二日目もはる食堂で食べました。
はる食堂のラーメンも美味しかったですよ。








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